のこと、

燃えるごみ

可笑しくもないのに笑い、眠たくもないのに眠り、日々を日々として過ごしている。

かつての私が執拗に追い回していた寂しさや孤独というものは、いつしか問われて思い出す位のものになっていた。
それは言うなれば冷蔵庫に入れておいた食べ残しみたいなものなのだが、その食べ残しがなかなかに腐らない。かと言って食べられる訳でもない。「あのとき食べておけばよかった。」などと言い、毎日毎日の食事をする間にも燃えるごみの日は過ぎ、いつしか食べ残しは冷蔵庫の奥でカピカピに乾燥していく。
ミイラよろしく千年くらい放っておいてくれればよいものなのだが、盗賊や研究者がピラミッドに用がある様に、私もまた冷蔵庫に用があるし。冷蔵庫は墓場でもなければ食べ残しはかつての王族でもない。

駆除する害獣がいなくなった世界で農夫はただ作物を育て、いがみ合う隣人の引っ越した市民はただ日々を過ごす。そして残り物を冷蔵庫に追いやった私は買ってきた食パンをただ食べる。無いものを感じる事は出来ないのだ。

明日は燃えるごみの日なのだが、おかしな事に眠たくて仕方がない。

蟷螂の斧

雨の上がりかけた夏の朝に見つけた不完全な変態は、とうに抜け殻のみを残し土へと還った。

「君が私に対する友情ないし情と呼べる類のものを感じているのであれば、私は自らの棺に戻り眠り続ける事にしよう。また、私が何度となく起こす過ちに君が倦怠を覚えるのであれば、私は自らの棺に戻り眠り続ける事にする。」

とりつく島を除した姿は、分の悪い相手をその小さな鎌で威嚇する蟷螂。

斧を得た蛹は、完全な変態として、抜け殻のように小枝に身を括り付け土へと還ることはない。
不完全な変態が鳴き疲れた季節、夏の終わりの話である。

酒と薔薇と定食と

身に余り、持て余し、生きた心地のしない営みの中にあって、私の感じることはというと、唾棄すべきは強者の傲慢であり、または弱者のそれであった。

さりとて、鍬を手に過ごす日々は単なる虚妄に過ぎず、蜃気楼を追って彷徨うほどの体力も無知も今の私にはもうない。

なくなく空を見上げては、そうする事に飽きて首をもたげた先にある文字を追う。

会ったことのない誰の話。隣人との語らい。私のいる場所。
そういったものを思い返して、日々は過ぎていく。

さて、今日は何を食べよう。
私はいま、夏の暑さを過ぎた季節にある。

かわいそうな自由

日々の中で春のにおいを感じとるたびに自由だったあの日々を思い出すのだけれど、さりとて自由であることに今も変わりはなく、何一つ思い出すようなことはない様に思えるが、それでは余りにも味気というものが無いではないか、

そこで、もうなにも君には話すまいとおもっていたのだけれど、折角なので勝手に話させてもらおう、私がなにを思い出しているのかというと、“自由であることに希望のあった日々”を思い出しているのだよ、

彼の手に入れた不自由と彼の手に入れた自由とで、どちらがよかったのか、幸せだったのか、という話をしているのではなくて、“もうああいった気持ちを胸に感じることはできないのだ”ということなのだ、

よく、自分の望んだ不自由に文句ばかり付けている人をよく目にするけれど、彼らは自由のけだるさや不自由さを解っていない、不自由な彼らは自由を星座に見立てて空を眺めているだけなのだよ、星座に見立てられてしまった自由はといえば、星座であるために身動きもとれないのだ、

自由な私の不自由な窓の外に自由な酔っぱらいどもの騒ぐ声が聞こえる、
春というにはまだ寒い夜に思う、

“春三月 縊り残され 花に舞う” か、

マリブコーク

ウィースキーのボトルの並ぶ店のバーカウンターに私はいた。

牡蛎のオイル煮に合うウィースキーを探していた。

もう飲まなくなって久しいボトルが目に入り、コーラで割ったものを注文して飲んだ。

16歳の私がそこにいた。

もうマリブコークを“本当はおいしいと思えない”私がいた。

そうして過ぎ去った日々を眺めては“夢見がちな子供たちに笑われて”はこれからの日々を眺めている。