のこと、

かわいそうな自由

日々の中で春のにおいを感じとるたびに自由だったあの日々を思い出すのだけれど、さりとて自由であることに今も変わりはなく、何一つ思い出すようなことはない様に思えるが、それでは余りにも味気というものが無いではないか、

そこで、もうなにも君には話すまいとおもっていたのだけれど、折角なので勝手に話させてもらおう、私がなにを思い出しているのかというと、“自由であることに希望のあった日々”を思い出しているのだよ、

彼の手に入れた不自由と彼の手に入れた自由とで、どちらがよかったのか、幸せだったのか、という話をしているのではなくて、“もうああいった気持ちを胸に感じることはできないのだ”ということなのだ、

よく、自分の望んだ不自由に文句ばかり付けている人をよく目にするけれど、彼らは自由のけだるさや不自由さを解っていない、不自由な彼らは自由を星座に見立てて空を眺めているだけなのだよ、星座に見立てられてしまった自由はといえば、星座であるために身動きもとれないのだ、

自由な私の不自由な窓の外に自由な酔っぱらいどもの騒ぐ声が聞こえる、
春というにはまだ寒い夜に思う、

“春三月 縊り残され 花に舞う” か、