のこと、

ちくわぶおじさんと僕

「ただそこにいるって事は、それを望もうが望むまいが、勝敗を生み、存在の可否を決めるって事だからね。世知辛いもんだよ。」

ビニールのカーテンで仕切られた屋台の暖かく湿った空気の中、割り損ねた割り箸でちくわぶをつつきながらおじさんは言った。たまたま居合わせたそのおじさんの、独り言か、問いかけか、小言か、愚痴かに、僕はただ頷いていた。

 

「おじさん、おかわりね。あと、タコちょうだい。」

その注文に便乗して、僕も普段飲まないお燗を頼んだ。

 

「だってさ、考えてもみなよ。ただ何もしないでいてもだよ?皆、同じ訳じゃないんだから、多少の違いはあるだろうよ。そこでさ、はい!ここまでです!でどっちがこっちってなっちゃうんだから。愛だとか、情だとか、そんなもんがなければさ、人なんてひとたまりも無いんだから。そうは思わない?それをありがた迷惑だなんて言ってちゃバチが当たるよ。ほんとに。例えそれが自分のメンツの為であってもだよ。」

タコを口の中でもごもごと噛みながら、燗をされたコップ酒を流し込みながら、おじさんは言った。僕は何となく頷き、酒を飲んでいた。

 

気の早い、いや、気の浮かれやすい性格を変えるのはむつかしい。東京の秋口にはまだその要のないおでん屋台に僕はいた。

「うで卵は半分に割って醤油をひとっ滴らしして食え。」

「大根は半分に切れ、それ以上は旨みが逃げる。」

「もやし巾着のない店は認めない。」

「もち巾着があるならまあ許す。」

そんなおじさんの“おでん指南”と、飲みなれない燗酒と、密閉した屋台の空気が心地よかった。

 

「好きなものは最後まで取っておく主義でね。好きなんだよね。ちくわぶ。」

冷え切ってぼろぼろに砕けたちくわぶをつつきながらおじさんは言った。僕の皿には、出汁を吸ってブヨブヨにふやけたハンペンの切れ端が残っていた。僕はこの茶っけてムクんだハンペンを好きなのだろうか?そして、おじさんは本当にちくわぶを好きなのだろうか?そんなモヤモヤとした煩悶に没頭していると、「じゃっ、ごっつぉさん、お会計ね。」と言い、おじさんは上着を羽おり立ち上がった。

つつかれたちくわぶは、まだ皿の上にあった。僕はなんで食べないのかを聞いた。

「好きなものを食べちゃうなんて勿体ないでしょ。ずっと皿にのせておいて一緒に飲むの。ちくわぶと一緒にね。そうしてると何かずっといる感じが奥さんみたいでいいでしょ?これがホントのツマなんつって、おれチョンガーなんだけどな。はっはっはっは。それじゃあね。」

こう言ってビニールの仕切りの隙間をぬって出て行くおじさんと入れ替えに冷たい乾いた空気が吹き込んできた。

透明のビニールの向こうで手を振るおじさんに会釈をして、僕はちくわぶとおかわりを注文した。